清の時代の防衛拠点を探索〜東涌炮台(Tung Chung Fort)〜香港歴史散歩@ランタオ島(大嶼山)東涌

清の時代の防衛拠点を探索〜東涌炮台(Tung Chung Fort)〜香港歴史散歩@ランタオ島(大嶼山)東涌

香港郊外の史跡

香港の歴史的な建造物の多くは香港島の北側と九龍半島の南側に集中しています。

その理由はかつての市民生活がそこに集中していたからです。

でも郊外に全く史跡が無い訳ではありません。

今回は香港の西側に位置するランタオ島(大嶼山)にある史跡をご紹介します。

東涌駅から歩きました

東涌駅(Tung Chung Station)のA出口からおりて、タクシースタンドを正面にして右に曲がります。

そしてTung Chung Crescentというマンション沿いに歩いていきます。

すると正面にトンネルが見えてきます。ここは自転車も通れるサイクリングロードです。

トンネルをくぐって住宅街沿いの木陰を進んでいきます。

途中またトンネルが見えてくるので、ここを右に曲がって更に歩いて行きます。

地下道をあがった所が裕東路(Yu Tong Road)です。

以前歩いた東澳古道もここから行くことが出来ます。

日差しが強い日でしたが、この辺りは木陰になっているので歩きやすかったです。

正面に歩道橋が見えてくるのでここを上ります。

右側に大きな病院が見えてきた所で左に曲がってそのまままっすぐ歩きます。

そして歩道橋を突き当たりを降りて右に曲がって、東涌道(Tung Chung Street)をそのまま歩きます。

この辺りまで来ると普通の田舎道で、全く香港らしくありません。

そしてしばらく歩いて行くとようやく東涌炮台の入口が見えてきました。

門をくぐって行くと石の塀が見えました。ここが東涌炮台(Tung Chung Fort)です。

東涌炮台の歴史

廣東通志という歴史書によると、清の時代の嘉慶二十二年(1817年)に「石獅山に炮台を作った」という記述があるそうです。現時点では東涌炮台がこの石獅山の炮台と同一なのかについてははっきりしていません。

その後の調査の結果、1832年に建設された別の炮台である可能性も出てきたそうです。どちらにしても同じ清の時代に建設されたことには変わりありません。

珠江デルタの入り口であったランタオ島は、特に清の時代に防衛上重要な場所でした。

その後イギリスが香港の新界地区を統治することになった際、清がここを占拠していたそうです。

そして戦後は公立の小学校や村の事務局などとして利用されました。

東涌炮台は1979年に香港の法定古蹟(記念建造物)として登録されました。

その当時はかなり崩壊していましたが、1989年からの数回に分けた改修によってこのように蘇りました。

塀の周りを一回り

敷地の直径はだいたい70メートル x 80メートルで、塀は花崗岩で作られています。

塀の上にも上がることが出来ます。

炮台が並んでいます。

よく見ると道光二十一年と書かれていました。道光は清の時代の元号で西暦にすると1841年になります。

塀の上を一周回れるようだったので歩いてみました。

足を踏み外さないように気をつけながら歩きます。

敷地が傾斜になっているので、建物の後ろの部分が一番高くなります。なかなかの景色です。

塀の中

次に塀の中を探索しました。

ここは戦後使用された公立の小学校ですが、現在はもう使われていません。

展示室

塀の中には東涌炮台に関する展示室もあります。

展示室の中に管理人のおじさんがいたので、許可をもらって撮影しました。

これは籾殻を取る装置です。

中にいるのは私1人でした。

おじさんはあまりにも暇なのか広東語で色々と話しかけてきました。私は広東語は片言レベルなので、ほとんど理解できず困ってしまいました。

徒歩以外の行き方

この東涌炮台ですが、私は東涌駅から約25分かけて歩きました。でも歩きたくない方は東涌駅からバスかタクシーで行くことも出来ます。

  • バス・・ニューランタオバスの11(大澳行)・3M(梅窩行)などを利用して、下嶺皮(Ha Ling Pei)で下車。ランタオバスは車内にアナウンスがない場合が多いので、事前に運転手に降りるバス停を伝えておいた方が無難です。
  • タクシー・・水色のランタオタクシーのみ利用ができます。ランタオタクシーは台数が少ないので注意が必要です。
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まるこ

2011年~2020年8月まで香港在住。 現在は千葉県在住。 好きなことは散歩とカフェ巡り、そして様々な勉強会に参加すること。 上級心理カウンセラー。

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