上環の気になる通りを歩いてみました~(3)南北行で栄えた文咸西街(Bonham Strand West)はお店が閉まっていました〜香港歴史散歩@上環(Sheung Wan)
文咸西街
今回ご紹介する通りは、19世紀の香港で最も賑わっていた場所である文咸西街(Bonham Strand West)です。
この場所は19世紀に南北行で栄えていた場所として有名です。
前回の続きです。
魔羅上街を探索した後、ハリウッドロードを西に向かって歩いて行きました。


しばらく歩くと、1841年1月26日にイギリスが上陸して香港領有を宣言したポゼション・ポイントが見えて来ました。

ハリウッドストリートを右に曲がってポゼション通りの坂を下ります。


皇后大道中から細い道を進みます。

最後にとりあげたい通りの文咸西街です。



文咸西街(Bonham Strand West)
この通りを紹介した看板の写真と日本語の案内文です。

『文咸西街
ここは以前から南北雑貨と薬剤の卸問屋の中心地として栄え、別名を「南北行街」と言う。』
この辺りが交易で栄えたことが良く分かります。
この南北行についても同じ場所にあった案内板で紹介されていた文を引用します。

『南北行
1842年の香港開港時には、商人達はすでに中国や南洋の物資に精通していたので、上海の人参、鹿の角や海産物などの北方の産物を南洋で販売していた。
また、南洋からは椰子、香料、藤製品、布生地、ゴムなどを持ち帰り、上環で人参、鹿の角や海産物および干物を販売する商店の発展に尽力した。』
残念ながら時間外でした
この辺りは卸業を営む業者のオフィスが並んでいるようです。私がここを歩いた時間は平日の18時過ぎだったので、シャッターが閉まっているお店ががほとんどでした。


通りの先まで歩きました。
幾つか乾物店は開いていました。


百草園
この通りに気になる公園を見つけました。

このお爺さんは誰?と思いましたが、神農氏という歴史上の方です。

この神農氏が百種類もの薬草を自分で試してその効能を検証したことが漢方の元祖になったとのことで、神農氏は漢方の父と呼ばれています。

公園内にはあらゆる薬草が鉢で育てられていました。

またこのようにそれぞれの薬草の説明もされていました。

永代街
道を突き当たりまで行って、折り返しにその北側に平行してある永楽街(Wing Lok Street)から戻りました。

この通りも文咸西街と同じように、閉まった店が多かったです。



まるこ
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